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和歌山地方裁判所田辺支部 平成6年(ワ)70号 判決 1998年1月16日

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

理由

一  当事者について

《証拠略》によれば、次の事実が認められる。

1  原告は、甲田社会保険事務所で勤務する国家公務員であり、肩書住所地に居住している。

2  被告和歌山県は、都道府県警察である和歌山県警察を設置している。

3  被告戊田は、原告肩書住所地の近隣に別荘を有し、同甲原、同乙野、同丙山及び亡乙山は、原告肩書住所地の近隣に居住していた。なお、亡乙山は、平成八年七月二日死亡し、被告丙川、同乙山及び同丁原は、その相続人である。

二  本件紛争に至る経緯

《証拠略》を総合すると、次の事実が認められる。

1  原告及び被告戊田らが居住している地区は、田辺市元町字菖蒲谷というところに所在しているが、ここは田辺市内ではあるものの、天神崎に近い丘の上を切り開いて造成され、昭和六二年前後から分譲された新興住民団地(以下「本件団地」という。)であった。

2  原告は、父の死亡後、和歌山県日高郡南部町の実家に居住していたが、この分譲地の一画を昭和六三年七月頃に購入し、平成元年八月に三階建ての家屋を新築し、同年九月に同家屋に引っ越してきたものであり、当時も現在も独身である。

3  原告が引っ越してきた当時、被告戊田の家が建築中だったほか、亡乙山を含めた当初被告らは、既に本件団地に家を建てて生活居住しており、なお、本件紛争発生時の、原告方周辺の被告ら等の居住状況は、別紙図面のとおりであり、被告戊田方と原告方は南北に道路を挟んで別のブロックにあったが、原告方の裏の北側区画には家屋が建てられていなかったため、被告戊田方から南に原告方が、原告方から北に被告戊田方がいずれも見通せる状況にあった。

4  本件団地の居住者は、被告戊田のように別荘として家屋を建てた者の外、都会を引き払って永住の地として家屋を建て老後を送る者もいたが、田辺市旧市街地からも車で直ぐの距離にあったため、原告のように通常の住宅を建てる者も多く、本件団地の敷地の区画も、四〇~五〇坪程度あった。

5  このような次第で、本件団地には、当初旧市街地におけるような親密な近所付き合いはなく、自治会も存在しなかったため、亡乙山らを中心にして、本件団地に住んでいるほとんどの者が加入して、平成五年三月末、「シーサイド天神崎町内会」が設立され、亡乙山が会長、被告甲原が副会長に選任された。

6  しかしながら、原告は、亡乙山に右町内会への入会の勧誘を受けたものの、そもそも近所付き合いを極力しない考えを持っており、本件団地引越の動機も、新興住宅団地のため、旧市街の住宅地などと違って、近隣の付き合いもせずに済むとの考えにあったため、右勧誘を断った。

7  そして、原告は、現在でも近所付き合いはしたくないと思っており、自分の高い声にコンプレックスを持っていたため、近隣の者達と話はしないようにしていた。

8  原告は、このように近隣との付き合いを全くしないのみならず、付き合いがないために却って近隣者の生活騒音などにかなり神経質に反応することがあり、直接相手宅まで行って穏便に注意するなどの方法を取らず、いきなり自宅の二階から、大声を出して怒鳴ったりし、被告乙野等と口論したこともあり、このため原告は本件団地内の近隣の者からは変わり者と見られていた。

9  また、原告には、このように近所付き合いがないため、被告乙野を天理教の信者でないのに、天理教の信者と言ったり、被告戊田を政治家後藤田正晴の甥と言ったりするなど、近隣の者への勝手な思い込みも見られる。

10  被告戊田は、同甲原とともに、平成六年六月二五日(土曜日)朝、白浜町堅田に魚釣りに行き、帰宅した後、昼からは、亡乙山らとシーサイド天神崎町内会の行事である天神崎の清掃奉仕に参加して、午後四時頃に帰宅した。

11  被告戊田、同甲原、及び付近の住民である丁山、戊原らは、懇親を兼ね右清掃奉仕の打ち上げをしようと、被告戊田方において、午後四時頃からビールなどで飲食を開始した。

12  そのうち、被告甲原、戊田松子、丁山が午後五時頃からカラオケを始めたが、部屋は冷房され、一応窓は閉められていた。被告甲原らがカラオケを始めて間もなく、何者かから被告戊田方に電話が掛かり、被告戊田が電話に出ると、「下手なカラオケ唄うな。田辺じゅうが笑っている。」と中年の女性のような声で言って名前も名乗らずに切れた。

13  その後、被告戊田方に何者かから連続的に電話が掛かり、被告戊田が受話器を取り上げると、無言ですぐに切れる、このような電話が二、三分置きに、五、六回掛かってきた。このような無気味で不快な無言電話が続いたため、その場の者達もこの無言電話の主が誰か詮索を始めたが、被告戊田方の裏は、本件団地の外れで薮と崖になっており、被告戊田方の窓も閉められていて、カラオケの音が聞こえる範囲も自ずと近隣住宅に限られ、その範囲には中年の女性の家は丙田という一軒しかなく、その日その家は留守であることが確認できたため、女性的な声色や電話の話し振りなどから、いたずら電話の主は原告ではないかと考えるに至った。

14  ところで、原告は、本件当日は朝から自宅におり、カラオケが始まり、雨戸を閉めても聞こえてくる音に腹を立てていたが、直接被告戊田方へ騒音に対する苦情を言いに行くことはせず、午後六時頃には、外へ出かけてしまった。

15  その後、被告戊田は、酒の勢いもあり、抗議しようと原告方北側の空地に出て行き、原告方に向かって「玄関を開けて話をしろ。」「無言電話をするな。」と叫んだりし、いたずら電話や無言電話に対する怒りをぶつけた。その頃には、この騒ぎを聞きつけた付近の住民らも原告方付近に集まって来て、これに同調して「出て来い。」などと叫んだりしていた。一方、被告戊田方には、その頃無言電話が更に一〇回前後掛かり、同方にいた戊田松子が右電話をとった。

16  亡乙山は、被告戊田からいたずら電話と無言電話の話を聞き、原告方に確認に行ったが留守であったところ、午後六時五〇分頃、住民らが多数集まって喧噪状態になったため、町内会長の立場から不測の事態の発生を恐れ、被告乙野に一一〇番通報を依頼した。

三  本件紛争について

《証拠略》によれば、次の事実が認められる。

1  被告乙野は、亡乙山から頼まれて、前同日午後六時五〇分頃、田辺警察署に「元町のシーサイド天神崎団地の原告方に嫌がらせか。近所の人が暴れ込もうとして揉めている。自治会長に頼まれた。直ぐ来て下さい。事情を聞くより早く来い。」と電話で通報をした。このように切迫した通報を受け、当日の宿直責任者の坂本警部補は、田辺警察署で待機中のパトカー乗務員中田実巡査及び吉田喜代治巡査に対し、直ちに現場臨場するよう指示し、中田巡査及び吉田巡査の二名はパトカーにより現場に急行し、午後七時過ぎに、現場に到着した。

2  両巡査は、原告方南側の玄関前にパトカーを停車させ、付近の状況を把握しようとしていたところ、パトカーの方に向かって歩いて来る付近住民二名程に遭遇した。両名は、興奮しながら原告方を指して「この家の甲野がいたずら電話を掛けた。甲野の玄関ドアを蹴破ってやる。」と言ってきたので、中田巡査らは、「そんなことしたら器物損壊になるからやめなさい。」と警告し、制止した。

3  そのうちに、原告方西側の道路付近に一〇人程度の近隣住民らが集まり、興奮した様子で口々に、「あいつが無言電話掛けたんや。」「あいつに違いない。」「連れ出してこい。」「居留守を使っているんや。」などと叫び、中田巡査らに対し、原告を連れ出して話をしろと強く要求してきた。

4  中田巡査らは、この時既に、原告方の留守を確認していたので、その旨説明して近隣住民らを説得しながら詳しい事情を聴取しようとしたが、集まっていた住民らは数も多く、飲酒している者もおり、相当な興奮状態にあることが見て取れたので、二名の警察官では不測の事態に対処できない場合もあると考え、午後七時一五分頃、パトカーの無線で田辺警察署へ応援要請を行った。

5  田辺警察署においては、右要請を受けて宿直勤務中の前田巡査部長及び峯上巡査部長の二名が捜査車両で直ちに応援に向かい、午後七時三〇分頃、現場に到着し、四名の警察官で本件紛争の処理に当たることとなったが、前田巡査部長らが現場に到着した時、原告方の周囲には、三〇人程度の住民らが集まり、口々に、「居留守を使っている。」「はよ連れ出してこい。」「無言電話も甲野や。」等々の野次を飛ばす等、騒然とした状況となっていた。前田巡査部長、峯上巡査部長らは本件紛争を処理し、事態の鎮静化をはかるため、まず、事の真相を把握すべく、原告方北側の空地において、事情聴取に取りかかった。

6  前田巡査部長は、まず、被告戊田から事情聴取をしたが、同人は飲酒して相当興奮し、いたずら電話があったがその犯人は原告であり、今から自分が怒鳴り込んで話をつけるなどと述べ、更に、峯上巡査部長とも被告甲原や亡乙山らから事情聴取をした結果、夕方、被告戊田方に最初嫌がらせの電話が、その後無言電話が再三あり、最初の電話は原告の話し振りと似ていたことから、その場の皆は相手が原告ではないかということになり、原告と話をつけるためにやって来て、外から怒鳴ったりしたこと、そして、騒ぎを聞きつけた近隣住民らも集まって来ていたことが分かった。

7  しかし、前田巡査部長及び峯上巡査部長は、いたずら電話の主が原告であるとは、証拠上直ちに決めつけられないと判断し、とりあえず、その場を治めるため、被告戊田や亡乙山に対し、「警察で事情を聞くから、とにかく帰ってくれ。」「落ち着いてくれ。」「皆を説得して帰ってくれ。」と説得し、その結果帰り出す住民もいた。

8  ところが、午後七時四〇分頃、原告が単車を運転して帰宅してきたため、原告の姿を見た近隣住民らが、再び騒ぎ出し、「甲野や。」「お前が嫌がらせ電話をした。」「オカマ。」「変態。」等々、口々に罵声を浴びせながら、原告方北側の空地と原告方敷地北側・勝手口通路との境にあるフェンスに押し寄せ、また、原告方周辺に集まって来ていた近隣住民らの数も再び増していた。

9  原告は、「わし何もしていない。」「人をオカマ呼ばわりして。」「人権侵害や。」と言い、単車を原告方勝手口付近に停めたので、前田巡査部長は、原告方勝手口通路にいる原告に近づいて身分を名乗り、状況を説明し、事情聴取をしようとしたが、原告は、「わし関係ない。」と答えたのみで事情聴取には全く応じなかった。一方その間、峯上巡査部長は、原告方勝手口通路付近にあって、北側の空地から右フェンスに近づく住民らに、右フェンスに近づかないように制止し、他方二名の警察官は、原告方勝手口通路の東側と西側の両方にあってフェンスを乗り越えて住民らが原告方敷地内に侵入するのを阻止しようとした(右フェンスは、ある程度の高さはあるが、北側空地の土地が高いため、ここから人が容易に乗り越えられる構造・形状であった。)。

10  午後七時四五分頃には、集まった住民らのうち一〇人位が原告と右フェンス越しに対峙し、激しく言い争いを始め、「いたずら電話したのはお前やろ。」「無言電話するな。」「オカマ。」「変態。」「公務員やろが。」などと原告に罵声を浴びせ、原告は、これに対し、「いたずら電話していない。」などと反論応酬し、付近は騒然とした状況となった。

11  前田巡査部長らは、このまま放置すれば暴力事犯に発展する虞があると判断し、付近住民を鎮静化するためにも、警察が事件解決のため積極的に事情聴取を進める必要を感じ、原告に対し、「家の中で話を聞かせてよ。」「家の中に入ってくれ。事情を聞かせてくれ。」と言ったところ、原告は、ことさら興奮して、「わしは関係ない。」と、自己が犯人と決めつけられたかのように反応し、「家の中に入るんやったら令状持ってこい。」などと、前田巡査部長らの説得を全く聞かず、事情説明もしなかった。

12  このような状態の中で、原告が、突然、「殴られた。暴力の現行犯じゃないですか。捕らまえてよ。」と言って騒ぎだした。前田巡査部長らは、直接これを現認していなかったため、「誰か殴ったんか。」と住民らに確認をしたところ、住民は「誰も殴ってなんかいない。」と数人が答えたのみで、原告も、殴った相手を具体的に指示したり、捕まえたり、右発言者に反論したりせず、この場は騒然としながらもそれで終わってしまい、結局、前田巡査部長らも、一部住民らがフェンスを乗り越えるかのような気勢を示し、原告もこれに応酬するような態度を示すなど錯綜した状況にあって、原告が申告する事実があったのか否かは現場で確認できなかった。

13  午後七時五〇分頃、このままの状態が続けば、身体に危害が及びかねないと(なお、原告本人尋問では、その時の様子につき、被告らは自分に対して挑戦的な態度であった。その場に警察官がいないと殴り殺してでもやろうかという感じがしたと表現)判断した前田巡査部長らは、捜査車両に原告を乗せ、併せて事情聴取を行おうと判断し、原告方勝手口先道路に同車両を移動させ、原告に対し、同車両に乗るように説得したが、原告はこれに応ぜず、原告方北側の勝手口通路に自宅の壁を背に座り込んだため、峯上巡査部長が「このままだったら危害を加えられる虞があるので取りあえず車に乗ってよ。」と原告の腕を持ちかけたところ、原告は、その場に仰向けに寝そべり、手足をバタバタと振り、手足を持たれないように一人で暴れ立とうとしなかった。

14  右状況を見ていた住民らは、原告に対し、「警察の言うとおりせえ。」「おとなしくせえ。」「きちんと話をせんか。」「早よ車へ乗らんか。」などと更に罵声を浴びせたため、前田巡査部長らは、このまま住民の中に原告を放置することはできないとの考えを深め、このような緊迫した状態では、安全な捜査車両内に移し、興奮した住民と隔絶させた方が良いと判断し、これを実行することとし、峯上巡査部長が原告の脛辺りを持ち、前田巡査部長が原告の左腕を、中田巡査が原告の右腕を提げ持つ形で、とりあえず原告方勝手口付近から回送した捜査車両まで(距離にしてせいぜい四、五メートル)原告を運んだが、その間、原告は、逮捕でもされると思ったのか、暴れるので、仕方なく原告を降ろすと、原告は地面に寝そべったまま、更に手足をバタバタと振って一人で暴れ、再度原告を提げ持つということを繰り返した。

15  前田巡査部長らは、どうにか原告を捜査車両のところまで連れて来て同車両後部左側座席に乗車させようとしたが、原告は、手足を突っ張るなどしてなおも暴れ車内に入ることを拒み、最後には同車両の下に体を入れるなどしたため、前田巡査部長は原告を捜査車両に入れ、付近の住民と隔絶した状況のもとで事情聴取をすることは断念した。

16  ところで、罵声を浴びせていた住民も、警察官に対する原告の右の行動を見るうちに、時間の経過とともに、興奮状態も治まり、結果的に事態は鎮静化し始めた。そこで、前田巡査部長らは、フェンス付近にいた被告戊田、同甲原、亡乙山、その他住民らを説得し、この結果、午後八時一五分頃になって、住民らは、三々五々、現場から引き上げた。

17  他方、前田巡査部長らは、原告に対し、更にこれまでの経緯の説明をしたうえ、事情聴取をしようと「話を聞かせてよう。」と説得をしたが、原告は、これに応じず、勝手口から原告方に入ってしまった。

18  前記措置により、原告と住民との間の暴力事犯の発生は回避することができたが、付近住民同士の感情的なトラブルのことであり、住民らが再度原告方に押し寄せる可能性もない訳ではなかったため、前田巡査部長は、念のため引き続き警察官による警戒措置が必要であると判断し、翌朝までの間、現場付近における警戒活動を指示し、中田巡査及び吉田巡査の二名がパトカーに乗車してこれに当たった。

19  ところが、警戒中の午後八時二〇分頃、原告が原告方勝手口から出て来て、中田巡査部長らに対し、一方的に「エンジンの音が煩い。近所に停めている住民の車を何とかせえ。」との苦情を申し出たため、やむを得ず、中田巡査らは、パトカーの停車位置を移動し、引き続き警戒活動を継続した。

20  更に、午後九時四〇分頃、原告が呼んだのか、救急車が原告方玄関前に到着し、原告は、「病院へ行く。お前ら訴えてやる。」と言いながら、玄関から自分で救急車に乗り込み、病院へ向かった。一方、中田巡査らは、翌日六月二六日午前〇時頃、交替要員である田辺警察署大浜交番勤務員と交替し、右警戒活動は、右大浜交番勤務員により、同日午前六時頃まで継続した。

21  被告戊田は、警察官から帰宅するように促されて、六月二五日午後八時頃帰宅したが、その頃、戊田松子は、原告と話をして無言電話を止めてもらおう、またカラオケが煩かったのならば謝ろうとして原告方北側の空地にまで行ったところ、原告から、突然、「下手なカラオケ歌いやがって。このくそババア。」「人の水を盗ってこの水泥棒。」との罵声を浴びせられた。

しばらくして、再び被告戊田方に無言電話が掛かり始め、翌日六月二六日午前二時三〇分頃、電話の差し込みを抜くまで、帰宅後の無言電話は実に四、五〇回に及んだ。

四  被告ら付近住民の不法行為の成否について

1  被告戊田の殴打の有無について

(一)  原告は、被告戊田は、「こいつが犯人や。」と発言して、いきなり手拳で原告の頭を一回殴打したと主張する。そして、原告本人尋問で、「今でも時々痛みます。」と述べ、陳述書(平成六年八月一九日付)においても、「あれから、ずっと割れるように痛みがあります。」と記載している。

(二)  しかしながら、同陳述書によれば、平成六年七月八日に辻村外科で頭のレントゲンを撮ったが、頭の骨には異常がなかったこと、更に同年八月五日に国立南和歌山病院で診察を受けたが、異常はなかったこと、同月一八日には紀南病院脳外科で診断を受け、CTスキャンを撮ったが、結局、外傷はなかったことが認められるのであり、これら事実からすると、原告の訴える症状については、愁訴といえるものが含まれており、原告の供述にも思い込みが存在するものと考えられる。

確かに、被告戊田は、本件当夜には飲酒しており、いたずら電話のため、相当激しく興奮しており、「無言電話するな。」などと原告に対し叫んでいた事実は認められる。しかし、前田巡査部長が原告の被害申告を受けて、その場で住民らに確認したところ、「誰も殴ってなんかいない。」との答えがあり、これに対し原告の反論、追求等はなく、その件はそれで済んでしまい、前田巡査部長が、直接その場で殴打行為の存在及びその行為者を確定できなかったことは、前記認定のとおりであり、原告の供述には右のように思い込みの部分もあり、原告が正確な記載に基づき被告戊田に殴打されたと供述しているかについては、なお疑問があることに照らせば、他に第三者の証言がない以上、原告の右主張を認めるには十分とはいえないというべきである。

2  誣告行為について

(一)  誣告行為における虚偽の認識については、未必的ではなく確定的である必要があるとされており、犯罪や迷惑行為の被害者が、警察官に対し、現実の被害に基づきその申告をしたからといって、国民は、捜査機関等に対し被害申告の権利を一般的に有するものと考えられるから、直ちに誣告が成立するものではない。

(二)  そして、被告戊田及び同甲原らが、その電話の内容や声等から、いたずら電話は原告がしたのではないかと判断していたことは、紛れもない事実であるが、同被告らは、警察官からの事情聴取に応じ、いずれも自己において体験したいたずら電話の内容や原告のそれまでの近隣住民とのトラブル等の事実を述べ、それに自らの判断を付け加えたに過ぎないものと考えられる。そして、そもそもいたずら電話は、その内容や回数、態様により、場合により脅迫罪、業務妨害罪や軽犯罪法違反罪(一条三一号)を構成するものの、一般には単なる迷惑行為の範囲に止まるものである。したがって、単に右程度の申告で、原告につき訴追がされるとは到底考えられず、また右被告らにおいて、事実関係をことさら捏造して申告したものとも認められないから、右被告らにつき誣告を理由とする不法行為が成立するとは認められない。

(三)  また、亡乙山、被告乙野及び同丙山につき、具体的に誣告行為をなしたと認めるに足る証拠はない。

3  侮辱行為について

(一)  前判示のとおり、《証拠略》によれば、本件現場において、「オカマ」、「変態」という罵声が騒然とした混乱の中で飛んだことが認められる。

(二)  そして、原告は、亡乙山につき、同人が多数人の面前で原告を指して、「こいつ、オカマや」と何回も発言したと主張し、原告本人尋問中や陳述書にも、これに沿う部分がある。

(三)  しかしながら、亡乙山は、シーサイド天神崎町内会の会長として、町内の近隣の者の間におけるトラブルに心を悩まし、原告と何とかうまくやって行けないかと心を砕いていた人物であり、本件の際にも、被告乙野にいち早く一一〇番通報を依頼し、不測の事態の発生を回避しようと努力していたもので、原告自身、その本人尋問において、亡乙山とは本件紛争まで一回会っただけで、本件当日においては亡乙山の顔を覚えていなかったことを認めていること、前示のとおり、原告の供述には思い込みも多いなど、正確な記憶に基づいているかに疑問があることに照らせば、原告の右供述及び記載部分は、にわかに信用できず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

(四)  また、原告は、被告戊田、同甲原、同乙野及び同丙山に対しても、侮辱をしたとして不法行為に基づき損害賠償請求をするが、これら被告に対する関係では主張自体、特定性から明確でないうえ、結局右被告ら各人がなした具体的侮辱については、これを認めるに足りる証拠はない。

4  建物損壊行為について

(一)  《証拠略》によれば、原告所有建物の外壁、出入口ドアが損傷していることが認められる。

(二)  しかしながら、右損傷がいつ頃なされたかの主張も、被告戊田、同甲原、同乙野、同丙山及び亡乙山のうち、具体的に誰によりなされたかの主張もなく、また、右の者の損壊行為によるものであると認めるに足りる証拠はない。

五  原告の負傷の有無程度について

1  医師辻村武文作成の平成六年七月二〇日付診断書(甲六)には、「全身打撲症、右肩関節捻挫、胸部打撲、右第一〇肋骨骨折 上記病名にて平成六年七月八日より約三週間の休業加療を要す。」の記載が、同医師作成の平成六年八月一七日付診断書(甲一一)には、「全身打撲症、右肩関節捻挫、胸部打撲、右第一〇肋骨骨折、上記病名にて胸部痛、右前腕の疼痛残存し通院治療要す。」の記載が、同医師作成の平成七年六月一四日付診断書(甲一四)には、「左肩関節捻挫、胸部打撲、右第一〇肋骨々折 上記病名にて疼痛残存し、四月四回、五月五回、六月三回(六月一四日現在)通院治療を行っている。」旨の記載がある。

2  しかしながら、同医師が作成した平成六年七月八日付の診断書(甲五)には、「全身打撲、左肩関節捻挫」の記載があるのみで、骨折の記載はないことが明らかである。のみならず、玉置病院医師池田茂樹作成の平成六年六月二七日付の診断書(甲三)には、骨折について何ら触れられておらず、納田整形外科医師納田努作成の同日付診断書(甲四)も同様であることが認められる。そして、乙第一号証(骨折の臨床)によれば、肋骨骨折の疼痛はおおむね一ないし二週間でとれる(一三七頁)とされていることが認められる。また、原告自身、本人尋問において、本件紛争後、その日のうちに、手足のあざを主訴として玉置病院を受診したが、同病院での診断は、体を診て大した事がないという内容で、その日は投薬も受けずに帰宅したと認めており、そもそも、後遺障害の発生するような傷害ならともかく、創傷は時間と共に自然に治癒するものであり、創傷の外観の様子も、時が経てば当然目で見ての客観的認識は困難となるものであり、結局、後になればなるほど患者の訴えという主観的なものに頼らざるを得なくなり、患者の愁訴が強く影響するものである。そして、原告が、病院を変えた理由につき、救急隊員が玉置病院に大げさな診断書を書かないように指示したこともあり得ると思った、玉置病院での診断書の記載内容に不満があったと供述していることからすると、数通の診断書の中においては、むしろ本件直後の診断書の方が客観的信頼性が高いとみるべきである。

3  したがって、甲第五号証、第六号証、第一一号証、第一四号証の右各記載はにわかに信用できない。原告が本件紛争において負った傷害は、本件紛争に近い日時に原告を診察、診断して作成された甲第三、四号証が信用できるというべきである。しかし、これら診断書により認められる背部打撲、両上腕部皮下出血、右下腿打撲、両肩挫傷、頭部打撲、両側肩甲部打撲(加療五日間程度)の創傷についても、背部打撲、右下腿打撲、頭部打撲、両側肩甲部打撲については、単に「打撲」とされていて、「打撲傷」とされていない。そして、甲第三号証には、両上腕皮下出血との記載がある一方で、同じ診断書に、背部打撲その他の「打撲」との語句の記載があること、打撲傷は本来皮下出血を示すものであるから、時間が経った方が出血部位が変色しはっきりする筈のところ、検第一号証の一ないし四(平成六年六月二七日撮影)、第三号証の一ないし三(同月三〇日撮影)の写真には両上肢の皮下出血しか写っていないことに照らすと、むしろ、原告がこれら部位を打ったと医師に申告し、強く痛みを訴えたことで、皮下出血がなくとも打撲の事実があったものとして、打撲という記載をしたものと考えられ、打撲との記載部位には外傷としての打撲傷は存在していなかったものと判断される。

4  結局、本件当夜において、原告は両上腕皮下出血、両肩挫傷の傷害を負ったものと認められ、右傷害は、警察官が原告を捜査車両に乗車させようと被告の手足を掴んだ過程、更に原告がこれを避けようとして手足をバタバタさせ、捜査車両の下の隙間に入ったりした過程で生じたものと認められる。

六  被告和歌山県について

1  警察官の緊急出動時の職務のあり方について

ところで、予め予測された警備の場合はともかく、一一〇番通報などによって緊急に出動した場合においては、現場の状況に対する予備知識もない中で、刻々と変化する現場の状況に対応しなければならないことから、犯罪が現認されたり、被害者により被害の発生状況が明確となっていて、出動した警察官において、直ちに取るべき手段、行動がはっきりしているときはともかく、そうとはいえない場合には、現場に到着した後の関係者からの事情聴取が最も重要なものと考えられる。そして、現場においては、被害者、加害者、この区分がはっきりしない場合には、とにかく紛争当事者双方、或いは第三者という具合に広く事情を聴取し、その後の対応を決定する必要がある。そして、住民が集まって来て喧噪状態が生じたり、更に群衆心理から混乱状態が進行して激化して、暴力事件や器物損壊事件が起きる虞がある場合には、現場の警察官の人数が圧倒的に多く、強制的に群衆を解散させることが可能であるような場合でない限り、一方当事者の言い分のみで一方的にその是非を決めてかかったりせずに、ある程度双方の言い分を聞くという形を取ることも必要となり、事情聴取という形を取りながらも、紛争当事者をなだめて引き離し、直接双方が言い合ったり、体を接触させることで感情が激するのを防ぎ、ある程度時間を経過させ、間を持たせることで事態の鎮静化を図ることも、犯罪の捜査以上に重要なことになってくるものと考えられる。

2  警察官の職務執行の根拠について

そして、警職法四条一項は、「警察官は、人の生命若しくは身体に危険を及ぼし、又は財産に重大な損害を及ぼす虞のある天災、事変、工作物の損壊、交通事故、危険物の爆発、狂犬、奔馬の類等の出現、極端な雑踏等危険な事態がある場合においては、その場に居合わせた者、その事物の管理者その他関係者に必要な警告を発し、及び特に急を要する場合においては、危害を受ける虞のある者に対し、その場の危害を避けしめるために必要な限度でこれを引き留め、若しくは避難させ、又はその場に居合わせた者、その事物の管理者その他の関係者に対し、危害防止のため通常必要と認められる措置をとることを命じ、又は自らその措置をとることができる。」と規定している。

この場合、同条項の天災、事変の例示は、危険な事態に及ぶ可能性が多いと思われる事案を具体的に示したものであるが、必ずしもこれらに限られるものではなく、その性質、原因を問わず、その状態や行為が、法律上違法か、適法か、社会的に不当か、適当かを問わず、結局、同条項の「危険な事態」には、人に危険が及ぶようなあらゆる自然現象、社会現象が含まれるものと考えられ、本件のような住民同士の紛争も、切迫した危険が現実に発生してくればこれに含まれるものである。

また、「避難」とは、危険な場所から退避させることをいうが、その際には、相手の意思にかかわらず、実力をもって行うこともでき、警察比例の原則から、特に急を要する切迫してきた状態において、他の代替手段によっては、現実に直ちには危険を避けられない場合、「必要な限度」で相手の意思にかかわらず実力を持った措置も取りうるものと考えられる。

3  警察官の本件における職務執行の違法性の有無について

(一)  ところで、本件においては、まず被告乙野からの一一〇番通報の時点からかなり切迫した事情があったことは、町内会長であった亡乙山が被告乙野にわざわざ田辺警察署への通報を依頼したことや、また被告乙野のとにかく早く来いとの趣旨の通報内容からして明らかである。

そして、第一陣としてパトカーで到着した中田巡査らが、原告方に押し掛けてきた一〇人程の近隣住民の言動や興奮状態から、二名の警察官による説得などでは到底制止できないのではないかと判断し、田辺警察署に対し応援要請をしたことからして、右応援要請の時点で、更に切迫の度を増していたものと認められる。

この応援要請に至る経過によれば、捜査車両で現場に到着した前田巡査部長らも、いたずら電話に関する具体的情報を得ていたとは考えられず、応援により派遣に至った理由も、もっぱら集合した住民らを平穏に解散させ、不測の事態の発生を防止することにあったことは明らかであり、現場到着前に予めいたずら電話の捜査にかかっていた形跡も、そのような時間的余裕もなかったものと認められる。

(二)  そして、前記認定のとおり、前田、峯上巡査部長らが本件現場の原告方付近において、被告戊田、同甲原及び亡乙山らから、まず事態の把握のため事情聴取をするうち、本件のいたずら電話の具体的内容や無言電話の存在をある程度把握するに至り、これらの者達が、電話の声色や内容、更にそれまでの原告と近隣の者とのトラブルなどから、その電話の相手方が原告ではないかと疑い、原告方に押し掛けて来たことを理解するに至ったものである。そして、これに近隣住民も加わり、人数も増して更に切迫した喧噪状態になったものである。ただ、原告が外出のまま帰宅しない間は、現場の警察官としても、住民の鎮静化を図るため、いたずら電話につき被告戊田らから事情聴取を進め、これに対し、捜査や何らかの対処をすることを約し、当日は、原告も在宅せず留守であるから、ともかくこれ以上警察としても致し方ないとして、近隣住民に対し解散するように説得していたものであり、かかる措置は、現場の警察官として事態の鎮静化のため、極めて当然の措置であったものと認めることができる。そして、この結果、住民の中にも警察官の説得に応じ帰宅を始めた者もあり、時の経過により事態が一旦収まりかけたことは、前記認定のとおりである。

(三)  そして、そもそもいたずら電話、無言電話というものは、はなはだ不快で、不気味であるだけでなく、相手が自らの匿名性を悪用しているだけ、余計に腹立たしいものであり、相手方に対する詮索を加え、様々な想像をするうち、不条理なやり方、手段に対する憎悪の感情が益々高まっていくもので、これらに対する対策が、緊急の課題となりつつあるところであるが、これを刑法上の犯罪として取り締まろうとした場合には、前記のように態様等によっては、業務妨害罪や脅迫罪を構成するとしても、全てが直ちに犯罪を構成するものでもなく、まして、これを取り締まる場合、電話を掛けている犯行現場を押さえる等ということも、通常あり得ないから、地道な捜査を積み重ね相手方を特定して行くしかないものである。したがって、被告戊田らにしては、原告をいたずら電話の犯人と疑うに十分な理由があったとしても、前田巡査部長らが、警察としては直ちに原告がいたずら電話の相手方と決めてかかることはできないものとして、住民を説得して解散させようとしたことは、この面からしても是認できるものである。

(四)  ところが、原告が午後七時四〇分頃、単車に乗って帰ってきたため、解散しかけた住民が、「オーイ、帰って来たぞ。」と再び騒ぎだし、「甲野や。」「お前が嫌がらせ電話をした。」「オカマ。」等という罵声が飛ぶなど一段と切迫した状態になったことは、前記認定のとおりである。そして、前田巡査部長は、このような中で、ともかく一方当事者に当たる原告から事情を聞こうとしたのは、前記のように双方から事情聴取をすべき原則から極めて当然のところであり、また、近隣住民を納得させ解散させるためにも、原告から事情聴取をし、いたずら電話の解決のために警察として手順を踏んでいることを示すことは、是非とも必要であったものである。

なお、この点につき、原告代理人は、警察官からいたずら電話の逆探知をしたと発言があり、犯人は原告であると決め付けられたと主張する。しかし、前記のように、一一〇番通報から本件応援要請、そして現場到着に至る一連の経過や、捜査のための時間的余裕ということから考えると、およそ逆探知がなされた筈がなく、かかる発言があったものとは到底認めることはできず、したがって、これに沿う原告本人尋問の供述も、原告の思い込み、あるいは混同に過ぎないものと解される。

尤も、警察官が原告に対し、事情聴取にかかろうとして、いたずら電話の相手方は原告ではないかとの質問をしたことは、当然あったものと認められる。しかし、これをもって原告をいたずら電話の犯人と決め付けた不当な措置であると直ちに結論付けることもできない。捜査の原則において、一応全ての事柄、全ての人を疑ってかかることは、極めて当然のことであり、したがって、事情聴取の際に、犯人ではないかとの発問が相手に対してなされることも当然予想されるものであり、勿論、質問される方としては、その発問の仕方等により更に不快の念を催し、腹立たしく思うことも当然ありうるとしても、これが直ちに不当、違法とならないのはやむを得ないところである。

(五)  したがって、原告が帰宅した時点で、前田巡査部長が、原告から事情聴取をしようとしたことは、極めて当然のところであり、これを非難することは当たらず、また本件現場の喧噪状態を考えた場合に、屋外でなく室内、即ち原告方で落ち着いて事情聴取をさせて貰いたいと考えたことも、現場の警察官としては、もっともなところである。勿論、自宅に他人を入れることはプライバシーに関わることではあるが、原告としても、付近住民の注視の中で騒然とした状態で事情聴取を受けるより、考え方によっては、自宅で落ち着いて事情を説明する方がむしろ有利という見方もできるところである。そして、原告方で原告の事情聴取をすることになれば、これが、同時に原告と被告戊田ら近隣住民とを物理的に隔て直接的接触を断つことになるから、事態の鎮静化に役立つ有効な手段となることは、常識的に十分理解できるところである。

(六)  しかるに、原告は、近隣住民に対し「わしは何もしていない。」などと言い返し、前田巡査部長のその場での事情聴取要請にも、「わし関係ない。」と応じないばかりか、原告の自宅内での事情聴取の要請にも、単純に自宅内に入ること自体に反発してか、短絡的に「家の中に入るんやったら令状を持ってこい。」と言うように強く拒絶し、却って、これを見聞きしていた近隣住民の反発を買い事態は更に混乱する方向に向かってしまったものである。

(七)  そして、前記認定のように、原告と多数の住民らが相互に罵り合って激しく口論する騒然とした喧噪状態において、前田巡査部長らは、近隣住民らには解散するよう再三の説得にもかかわらず全くこれに従わず、口論は徐々にエスカレートする中、現場の警察官らに対して原告から殴打された旨の被害申告がなされるに至り、原告と近隣住民らは口論応酬を続け、双方とも相当興奮し、近隣住民らはフェンスを乗り越えるかのような気勢を示し、原告もこれに応じるかのような態度を示すという、極めて切迫した危険な状況に至ったものである。

(八)  現場の警察官らは、このような状況から、このままでは原告の生命もしくは身体に危害が及び、また財産に重大な損害を及ぼすととっさに判断し、これを避けるため、捜査車両に原告を乗せようと考え、その旨再三にわたり原告を説得したが、原告はこれに応じようとしなかった。そして、原告は、原告方北側の勝手口通路において自宅の壁を背にしてその場に座り込んだため、警察官らが、原告を立たせようとその腕を持ちかけた時、これを避けようとその場に仰向けに寝そべり、手足をバタバタと振り暴れ、一向に立とうとしなかった。前田巡査部長ら現場の警察官らは、このままの状態に原告を放置することはできないと考えて、このような状況の下では、安全な車内に移すのが最善と判断し、三人の警察官が原告の脛辺りと原告の各腕を掴んで提げ持つ形で、原告方勝手口付近から回送した捜査車両まで(距離にして四、五メートル)原告を運んだが、その間、原告が暴れ回るので、原告を降ろすと、原告は地面に寝そべったまま、手足をバタバタと振って一人で暴れ回るので、再度原告を提げ持つという状況が繰り返された。そして、どうにか原告を提げ持って捜査車両のところまで運び、同車両後部左側座席に乗車させようとしたが、原告がなおこれを拒絶するべく手足をバタつかせて暴れ回り、最後には同車両の下に体を入れるなどしたため、前田巡査部長らにおいてもこれを断念したものである。

(九)  ところで、警察官らが三人がかりで原告の手足を掴んで捜査車両まで運び、同車両に乗せようとしたことは、原告が手足をバタバタさせるなどの行動で、これを拒否することを示していたものと認められるから、警察官の右捜査車両への移送行為は、原告の意思に反する実力の行使に当たるものと認められる。

(一〇)  そこで、右実力の行使が、警察官の職務執行行為として違法になるかについて検討する。

まず、原告と多数の近隣住民らが相互に罵り合って激しく口論する騒然とした状況において、原告から殴打された旨の被害申告がなされ、口論は徐々にエスカレートする中、現場の警察官らに対して原告から殴打された旨の被害申告がなされたが、原告は、警察官の自宅への立入りや事情聴取を拒否する一方で、近隣住民らは口論応酬を続け、双方とも相当興奮し、近隣住民らはフェンスを乗り越えるかのような気勢を示し、原告もこれに応じるかのような態度を示す状況であったことは前記認定のとおりであり、このまま放置できない危険で極めて切迫した状況にあったことは明らかであるから、これは、警職法四条一項にいう「特に急を要する場合」に該当するものといえるものである。

また、前記認定事実によれば、原告の手足を掴んで運んだ時間は、説得の時間を含めても二〇分間程度であり、運んだ距離も、ほんの四ないし五メートルの距離であることから、拘束状態が生じたとはいえず、その態様もことさら危険なものではなく、その過程で原告が負った傷害も皮下出血、挫傷を内容とする加療五日間程度のものであること(なお、皮下出血以外は、原告が手足をバタバタさせたり、地面に転がったことにより負った傷害であると推測される。)が認められ、また、原告において、その場の警察官の事態を収拾しようとする警告を理解せず曲解し、自宅での事情聴取はおろか、その場での事情聴取にも全く応ずることもなく、その場で被告戊田ら近隣住民と口論を続けたりしたことが、事態を却って悪化、混乱させた一因であることが認められる。

以上の事実を総合し、かつ本件の全経過にも鑑みれば、現場の警察官らが原告を捜査車両まで運び、同車両に乗せようとしたことについては、原告代理人は、事後的に、警察官の増員派遣により回避できた筈であると批判するものの、現場において、まず原告と興奮した被告戊田ら近隣住民とを引き離すことにより、住民の興奮を収めることを考えた現場の警察官の判断も、既に一旦増員がなされ、時間的に宿直体制に入っていた状況の中では、現場での現実的かつ実際的判断ということができ、原告の前記行為等により事態が悪化するなど状況が刻々と移り変わる中で直ちに取りうる措置としては、やむを得ない合理的措置と是認できるものと解され、この点からすると、警察官らが原告の手足を掴み、原告を捜査車両まで移送しようとしたこと自体は現場の混乱を回避しようとしてなされたやむを得ざる避難の措置とみることができ、直ちに違法ということはできず、原告が警察官の移送を拒否し、その過程で前記の皮下出血、挫傷を負ったとしても、警察官らが直接的に殴打等の積極的暴力を加えたものではなく、その受傷の程度も軽く、その受傷の原因として、原告の側における自傷的要素も強いものとみることができるから、被告和歌山県において国家賠償法により損害賠償責任を負うものとは解することはできない。

七  結論

以上の次第で、原告の本訴請求は、その余の点につき判断するまでもなく、いずれも理由がないから棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法六一条を適用して主文のとおり判決する。

(弁論終結の日 平成九年六月一三日)

(裁判長裁判官 平沢雄二 裁判官 大崎良信 裁判官 福田修久)

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